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No Foreword

馬 と 音楽 と 混沌の世界。。

           





悪癖---------
---------今、ココに座っているコトが。
そう言ってしまうのは大袈裟だが
決して過言だとは思わない。

いつから こうなったのだろう-------
遡れば 2011年の8月頃になる。

大量に残る当時の資料は
手元にいつでも引き出せる状態で存在するが、
当時のコトは、既に幾度となく書き綴っているので
ココで改めて詳しくはとり上げない。

その資料達の中に、今尚続く悪癖に関連するモノは見掛けられないが
目に見える形として残っていないだけで
思い返せば、当時は他者の悪癖をそっくりそのまま完全コピーしたようだった。

"Breaking the Habit"

まさに この言葉通りの成果を
遂に 4年越しに 得られると思ったのに
丁度 勢いがついたところで
ブレーキを踏まされた格好だ。

ブレーキを踏まされて 減速した
いや 停止した この状態を
無為自然に受け入れろというコトなのか?

どちらの選択が
最終的に最もストレスフルな影響を生むのか
僕には分からない。


---------------------------------


「コレが 種子と陰影の差か。」
上手く合理化できたつもりで そう言ってみた。

そして、その思いは 日々強くなる。
無理矢理 上手く言ってみただけだと思っていたが
案外 そうでもないらしい。

「やっと見つけた」
その思いは強いが
同時に 違和感も募る。

あるいは、永遠とも呼べる時を
終焉への恐怖と共に生き続けるコトが
どうあっても逃れられない天命なのか。

「通常運転だろう」
と言われれば まさにその通り。
そう考えれば
違和感を感じるコトに
違和感は感じない ワケだ。


終幕へ向かう道を
ただ只管に進む
終焉など 願うハズもないのに
なぜ そちらに向かうのか
一方通行だからだろう
止まったところで 何もない
進むしかないんだ

生色を失う
しかしそれも
今に始まったコトではない

だが だがしかし
掣肘を加えられたからではないのか

あらゆる批判は
元が 勢利の交わりであるからか

そういった否定的な目は
窃鉄の疑いを生むのか


張耳と陳余とて 決別した


佞言は忠に似たり、姦言は信に似たり 


信陵君は 何故 失脚した?

呉起は 何故 亡命した? 

楽毅は 何故 失脚し 亡命した? 

廉頗は 何故 趙括にとって代わられた?

孫臏は 何故 臏刑と黥刑に遭った?

范増は 何故 楚を去った?

屈原は 何故 汨羅に入水した?

田豊は 何故 刑死した?

文種は 何故 自害した?



守るべき砦を 敵陣に開け放つのは 何故か

守りが薄い門を 敵に知らせるのは 何故か


主は 必死に砦を守っていた

それでも 最も信頼していた者が 敵に砦の弱点を明かした

砦は 堕ちた

敵味方は例外なく皆 砦の主を 非難した

砦の主は 全て自分に非があると 認めた

後は 全ての責任を取って 散るのみである


だが 思う

コレは 棄市 だ

内応 と 讒言 と 流言 の 果ての

棄市 だ

しかし

その事実を

本人以外の 誰も認めない

それは

他の誰にも見えないから




涸轍の鮒魚

釜中の魚

俎上の肉

焦眉の急




矜持はズタボロ

もはや 立ち上がる術は 無い




掌中の珠を得たるが

禍福は糾える縄の如し

全ては増上の慢

完璧帰趙は 夢のまた夢



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この声は 届かない

それは声に出していないから

でも 声は出さない

目に見えるモノ 耳で聞こえるコト には

大した意味がないから




肝胆を披くコトは 永遠にない





なかなかに 世をも人をも 恨むまじ

 
  時にあらぬを 身の科にして 












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