No Foreword

馬 と 音楽 と 混沌の世界。。

           
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誰が言った?
いや、誰も言ってない。
だから誰も悪くない。
だが、敢えて悪者を選ぶとするならば、 
それは自分 というコトになるんだろうか。



僕はいつも 自分には全てが見えている という錯覚に陥るのだが、、
実のところ 本人はそれを錯覚と思っていない節があるようだ。
一般にコレは 傲慢と呼ばれるが
私はコレを 正当な自己評価と考える。



失敗の多くは大抵 引き際の量り損ねに起因するが
それを繰り返しても その測量術は全くもって磨かれない。
人は千差万別 人に限らず森羅万象であれば尚更。
だから。  と言ってしまうと、思考・改善の余地が無くなってしまうのはどうしたモノなのか。



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昨年度末は まるで6年前を彷彿とさせるような まんまの流れだった。
もう もうやらない と。
アレだけハッキリ誓ったハズだったのに。

怠惰である自覚を持ち合わせているクセして、割に合わない過剰な自信を見せる私だが
今回に関しては 珍しく 頑張った という自負があった。
それも6年前と同じ。
終わった今でも、振り返ってみて、
周りと比べて最も自分が用意周到だった という思いは強い。
その根拠は、
誰も注目していなかっただろうが、
私だけが唯一達していたある視認できる事実からも容易に推し量れる。

だが 失敗した。
派手に失敗した。
敗戦の一部始終を顧みれば
なるほど戦術のお粗末さが目につくが
実際問題、その戦術のマズさが そもそもの戦略のモロさから来ているコトは否定できない。
最初から無理だったのだ。
というのが、安易に導き出せる結論だった。

手駒には限りがある。
戦略をコレ以上洗練させられたかと問われれば、答えは否。
だが、常に虚勢を張るコトで
まるでスゴいモノであるかのように見せ振る舞うコトをアイデンティティとしてきた私は
たとえ虚構であっても 高度なモノであるかのように見せるコトが出来るハズだった。
いや、出来ると思っていた。

どうやら 私が人のせいにしたように 他人の目にはうつったらしかったが
人のせいにした自覚はありつつ、自分のせいである反省もあり
同時に、自分のせいではないという強い思いもあった。

自分のしたコトが、物凄く高度だった という自負 は 終わった今もあるが
それは 誰にも伝わらない。
でも、同じコトを他人にさせれば分かる。
なぜなら、他人には到底真似できないから。
たとえ努力を積んだとしても。
その思いが、責任の所在を曇らせる。

年度が変わった今だから敢えて言おう。

分不相応だったよ。


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そして年度が明け
今度は15年前のループで
私はまた別の郷愁にかられる。

どれだけ経験を積んでも分からない。
分かった気になっているが、実際には分かっていない。
ただ、失敗を繰り返すのみで、前進が無い。

徒に歳を喰っただけの肉塊に
実りある選択肢は残されていない。
それは
知っていたのに 精神衛生の維持の為 知らないフリをしてきた
という いつものヤツ。

分からないから
終わったと思ったから
斬り捨てたのに

斬り捨てても 斬り捨てなくても
正解には辿りつけない。

ゴールは見えないんじゃなくて
最初から存在しないんだと
だからと言って 
自分で作る といった綺麗事ではないんだと
気付かされて
でもスタートにも戻れなくて
その場に座り込む。

そっぽ向いて 視界から消えるのを待つ。
静かな忍耐力だけが 頼みだった。 ずっと。



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先進性が微塵も感じられないこの世界の中
斬新で先鋭的であるかのように見せる 目につく言動
しかし 同時に内在する 酷く保守的な根幹
その矛盾の中にあっては 到底達し得ないカタルシス


永遠を望む


有視界に有意義はない


生きるコトは 創造ではなく 破壊なんだ


報えない 報わない


無意味でないコトなど 一体ドコに


だからこそ僕は 全てを知り尽くしたいのに


知ってるのに 分からない


世界は 変わらない




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